ココとの思い出

 


ココがいわゆる「虹の橋」を渡りました

 


19歳と半年という長い年月

わたしがペットとしてココを可愛がっていたのではなく、ココがずっと私を助けてくれた19年だった

 

 

 

確か出会いは8歳だか9歳だか、そのくらいの歳だった。

朝早く、わたしと兄弟が寝ている部屋に母がきて、私たちを起こしてすぐベッドに子犬を放した。「今日から家族だよ!」なんて言いながら。

 


犬を飼うなんて知らなかった私たち兄弟は泣くほど笑って喜んだ。

 


その日からわたしたち兄弟とココで4人兄弟となった。

 

 

 

 


わたしのココに対する溺愛ぶりは常識を逸脱していて、大学の時には1限目の途中で「犬に会いたいから」と帰ることもあった。

「犬といたいから」と行かないこともあった。

 


元々マジの引きこもりだから高校も大学もそうやって行ったり帰ったり、ココを撫でたり一緒に寝たりしながら精神の安定を図ってた。もちろんサボりたいだけの日もあったけど。

 

 

 

友達からの遊びの誘いも「犬といたいから」と断ることがあった。

というか犬が老いてからは特にそう断る回数が増えていったような気もする。

19歳という年齢で、見るからにヨボヨボで残りの時間がそう無いと思うとどうしても犬を優先させたかった。

 

 

普通だったら関係を切られてもおかしくないような断り方をよくしてたけど、優しい友達に恵まれて関係を切られることなく今日まで過ごせております。本当にありがとう

 

 

 

2ヶ月ほど前から実家から車で15分のところで一人暮らしを始めた。でも、辛いことがあるとすぐ実家に帰り「犬セラピーが必要」と言って一緒に眠った。

辛いことがなくても週に一回は「犬セラピー」を受けに帰った。

ココと寝ている自分は、世界で一番満たされた存在だった。

 

 

 

 


本当はココと一緒に死にたかった

いない生活が考えられないし、ココがいなくなった後の自分は自分じゃないから。

毎日寿命を1日ずつ渡し、ちょうど同じ日に死ぬことが希望だった。

家族には「犬がもし死んだら、その日にわたしも死ぬ」と本気で言っていたし、本気で思っていた。

 

 

 

「なら、死んだその日に新しい犬を飼おう」なんて家族で笑ってたけど。

 


だけど、実際犬がいなくなったいま、同じ気持ちにはならない。

ペットで空いた心の穴は新しいペットで…と思っていたけど、新しい犬を飼ったとしてもこの穴は埋まらないと思う。

代わりにはなるかもしれないし、新しい犬を飼ったら絶対に大切にして一生手放すことなく可愛がれる自信があるけど…

これから先、何匹犬を飼って楽しく笑って暮らしていけても、どうしたってココが居なくなった穴は一生埋まることは無いと思う。

でも、それでいいとも思う。埋まらないでいいとすら思う。

 

  

話は変わるけど、わたしは現在看護師として働きながら、おじいちゃんおばあちゃんの亡くなる瞬間にたくさん立ち合わせてもらっている。

命の授業みたく、たくさんの患者さんに老いるのは仕方のないこと、命あるものがいずれ死んでいくのは自然の流れだと教えてもらった。


そういう経験の積み重ねで心の準備が進み、ココが死んでもなんとか生きている自分がいる。

なるべくしてなる人生を送っている。導かれて生きている。そう感じた。

 

 


ココがいないこれからの人生、なかなか想像もつかないけど、つらい時に必ず居てくれたココがいなくなったいま、何か起こった時にどう立っていけばいいのか全然わからないけど…

なんとか、なんとか、頑張っていきたいと思う

 

 

 

おばあちゃんが死んだ時も言ったけど

自分が死んだら、最愛のおばあちゃんと最愛のココが待ってると思うと死んだあとの楽しみが増えるばかりだよ

 


行くまでちょっと待っててね

 

 

 

 

 

最後に

 

本当にキラキラした毎日をありがとう

ココに支えられてこれまでやってこれました

わたしを生かしてくれてありがとう

うちに来てくれてありがとう

もし私を天国で待たずに生まれ変わるなら

またうちにきてね

 

 

大好きだよ

 

みなみ

 

 

 

 

 

 

 

 


ありし日
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