天使だらけの世の中

 

 

付き合いの長い人はもう聞き飽きたと思うんだけど、私は中島らもの『その日の天使』というエッセイが大好きで、読む前と読んだ後とじゃ明らかに人生観が変わった。

 

最近はなんだか疲れていて、このエッセイを思い出す機会が多くあったので改めて話をさせて欲しい。

 

 

まずは作者の中島らものことを紹介したい。

らもは脚本家であり、コピーライターであり、エッセイストである。歌も歌うしラジオでお喋りもする。その活動は多岐にわたる。

彼は若い頃から躁鬱に悩まされていた。アルコール依存から薬物にも多く手を出し、大麻で逮捕されたこともある。

そんな後ろ指を刺されそうな経験や思いを、彼は様々な活動の中で悪びれず赤裸々に語っている。

例えばエッセイでは、どれを読んでも独自の考え方がストレートに描かれており、アルコール依存や薬物も誤魔化すことなく「あれは良かった」「この薬物はやらない方がいい」なんて書いてたりして。

おいおい、と思う話も多いけれど嘘偽りのない文章が私は好きだ。

(ちなみにエッセイ集によっては下世話な話が多いので周りに人がいる時はちょっと読みにくい。)

 

そんな中島らもだが、最後は酒を飲んで階段で転び、頭を打って死んだ。本人らしい亡くなり方で羨ましくもある。

 

 

 

 

話を戻し、そんな中島らもが書いた『その日の天使』というエッセイを抜粋する。

それはこんな内容である。

 

 

"一人の人間の一日には、必ず一人、
「その日の天使」がついている。

その天使は、日によって様々な容姿をもって現れる。"

"心・技・体ともに絶好調の時は、これらの天使は、人には見えないようだ。
逆に、絶望的な気分に おちている時には、
この天使が一日に一人だけ さしつかわされていることに、よく気づく。

こんな事がないだろうか。
暗い気持ちになって、冗談でも”今自殺したら”などと 考えている時に、
とんでもない友人から電話が かかってくる。

あるいは、
ふと開いた画集か なにかの一葉によって救われるような事が。
それは その日の天使なのである。"

 

 

私は友達に紹介されてこのエッセイを読んだのだが、読んだ直後から冗談じゃなく天使が見えるようになった。

 

 

一番はっきりと天使の存在を認識できたエピソードを紹介したい。

 

私は4年ほど前に19年半飼っていたペットの犬が死んだのだが、しばらく沈んで立ち直れなかった。

起きている時はずっと泣いていて、泣き疲れて眠り、また犬が死んだことを思い出して泣いて起きる有様だった。

明るい気持ちになってはいけないと思った。人生の全てだった犬が死んだのに、それを忘れて日常に戻っていく自分が許せなかった。

 

そんな暗がりにいるような生活の中、なんとなくテレビをつけるとたまたま狩野英孝がバラエティ番組でオリジナルソングを歌っていた。

 

内容なんてあってないような歌だったのだけど、それを聴いて私は笑った。それはもう、腹を抱えるほど笑った。

ひとしきり笑った後に、ああ、今日はこの人が、この歌が "その日の天使" だったんだな、と悟った。

 

笑っても犬が死んで悲しいことには変わりなかった。

しかし、苦しみ以外の感情を持つことに罪悪感を覚えていたが、感情は両立するし、悲しみを抱えたまま笑ってもいいのだと自分を許すことができた。

多分 “その日の天使” の存在を知っていたからこそスッと許せたのだと思う。天から遣わされた出来事なら笑っちゃっても仕方がないと。天からの思し召しなら、前向きになるのも致し方ないと。

 

ちなみにそれ以降、私は狩野英孝の大ファンである。それも、YouTube公式のTシャツやらなにやら買うほどに。彼がまた浮気をしようが何をしようが、とてつもない罪を犯さない限りはファンでいる。

私はあの時、それほど救われた。

 

 

 

さて、話を現在に戻したいと思う。

 

私は現在仕事を始めて1ヶ月。

生活はとにかく楽しくて、仕事の同僚は優しい人ばかり。文句なく、充実している。

副業でアルバイトもしている。そちらも刺激だらけで、働けることが自体が嬉しい。

楽しくて楽しくて、自分のキャパシティ以上の仕事をこなしてしまっている。その合間に、全力で遊んでもいる。

最後に家でゆっくり休んだのは何ヶ月前だろうか。そんな生活をしていたら、さすがにちょっぴり疲れてしまった。

 

本業も副業も楽しいが、人相手の仕事なので時々チクッと言われることもある。

普段は気にも留めないそのチクッとが、疲れている心と体に深く突き刺さってしまう。

 

本当に疲れたな。

わかっている。疲れているのもちょっとしたことが受け入れられなくなっているのも全部自分のせいなのである。

どうしようもなくムシャクシャして誰かに当たり散らしたい気持ちもあるが、全部自分の選択で今があるのにどこに当たろうというのだろう。

 

次にチクチク言ってくる客が来たら、あれこれ言いたいな。思ってること全部ぶちまけてやりたいよ。

そんなことできるはずもないけれど。

 

仕事から帰る車の中で、もうやだ、と大声をあげる。

もうやだ、疲れた、やめる。全部やめる。

誰が聞いているわけでもないのに、ひとしきり虚空に向かって駄々をこね、現実の自分に戻る。

 

そういえば普段使っているシャンプーもとっくに切れ、試供品で繋いでいる。ヘアオイルもそろそろ買わないと。

ああ、無償にマックが食べたいな。でも、マックに行く気力もないや。

ガソリンも入れなきゃ。ああ、車の中も汚すぎる。どうにかしないといけないな。

 

 

まあいいか、全部どうでもいいや。今日は家に帰ってさっさと寝よう。

 

家の駐車場についても、疲れすぎて車から降りることができない。車内でひとしきりぼーっとしたあと、ドロドロになった体に鞭打ちなんとか家に入り、犬を撫でてから眠る。

そして、溶けかけている足を引きずるようにしてまた仕事場へ向かうのだ。

 

 

またもや仕事で失敗し、自己嫌悪で気分がどん底まで落ちた帰り道。気持ちが落ち込むと体も辛くなる。

また叫び出したくなる気持ちのまま、ふとカバンの中に目をやる。

 

 

ぐちゃぐちゃになったカバンの中で、友達が作ってくれたマドレーヌの存在に気づく。

 

就職のため他県に引っ越した友達。アルバイトをしているから会いにきて欲しい。と伝えたら本当に会いにきてくれた。それだけでも充分嬉しいのに、手作りの差し入れまで持って。

 

そういえば昔、彼女はオーブンが無いから焼き菓子は作れないと言っていたことを思い出す。

もしかして、引越しの際にオーブンを買ったんだろうか。

彼女だって仕事を始めて忙しいだろうに、私がお菓子を作ると喜ぶから作ってくれたんだろうか。

考えれば考えるほど、どん底だった気持ちが救われていく。

ああ、今日の天使はこれかと思う。

 

マドレーヌを一口食べて、またぐちゃぐちゃのカバンに大事にしまう。

今日の私だけで食べるにはもったいない。残しておけば、明日の自分もきっと救われる。

 

 

マドレーヌの中に天使を見つけて勢いづいたからか、

そこから連日、疲れた心に小さな天使がたくさん遣わされてきた。

 

 

別の日。

残業してクタクタになり帰宅すると、父がマックのベーコンポテトパイを買ってくれていた。私が食べたがっていたから買ってきてくれたそう。トースターで温めたパイをほんの少しだけ、犬と分け合って食べた。暖かくて美味しかった。

 

疲労が溜まりつつあるバイトの休憩時間にお気に入りのカフェでテイクアウト。カフェラテがとても美味しかった。店員さんが顔を覚えてくれていて、手を振って「いってらっしゃい」と見送ってくれた。

 

採血で失敗して凹んでいるとき。

また失敗したらどうしようという気持ちを抱えながら怖々違う患者さんの元に向かうと、私が直前にうまく採れなかったことは知らないはずなのに「どんだけでも刺してええよ」と優しく言ってくれた。

 

などなど。

 

本当に天使だらけである。

 

 

疲れた時、悲しい時、どうしようもなく不安な時。以前までは少し笑えるようなことがあってもすぐにまた気分が沈み、うまく自分を掬い上げられないことが多かった。

しかし  “その日の天使”  を知ってからは、明らかに落ち込んだ気持ちから抜け出しやすくなった。

ちょっとしたことに天使が見えるようになり、自分で這い上がれるようになったのだ。

これからもそうやって、関わっていく人や物の中に勝手に天使を見つけて勝手に救われていくのだと思う。

 

 

 

疲れてしんどくてしょうがないことも多いけど。

この天使だらけの世の中ならば、もうちょっと生きててもいいかな。なんて考えながら、日々をまた過ごしていく島であった。

 

激オモ鬱パワハラ昔話

 

 

鬱々とした心の扉を開いてしまった。

心が落ち着かないので、自分の心の中にある嫌だった記憶、ずっと自分を苦しめているモヤモヤを出して整理する作業をしたいと思う。

なんか、トラウマを克服するためには時間薬で忘れていくだけではなく、トラウマに向き合うのも効果的らしい。

 

吐き出すことでちょっとスッキリするといいな。そんな気持ちで書きます。

重たいのでしんどいと思ったら見ないでね!!!!また、気分が悪くなったら途中で見るのやめてね!!!!

 

 

というわけで激オモパワハラ鬱昔話をどうぞ

 

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初めて就職した会社は、製本会社だった。

家から近ければ何でもよかった。

 


日給月給制で、大体隔週土曜日は出勤。

繁忙期には1ヵ月に4回しか休みがない。それでも手取りが14〜15万円だった。(ちなみにボーナスもない。あって3万くらい)

 


最初からウェルカムな雰囲気ではなく、仕事は簡単にしか教えてもらえない。

未経験OKの求人だったので飛び込んでみたが、何かを聞くたびにため息をつかれた。

 


ちょっとしたことで怒鳴られた。

あまり記憶にないけど、段ボールを置く場所が上と下で違うとか、そんなような程度のことでよく怒鳴られた。

 

 

その会社は毎朝掃除の時間があるのだけど、私が拭いたところだけ異常に臭いと言われ、詰問されたことがあった。

何を使ってるの?乾いてない雑巾を使ってるんじゃないの?と。臭い臭いと言い寄られて何人からも囲まれた。

結局犯人は私ではなくマイ雑巾を持ってきている他のスタッフだったことがわかった。

が、詰め寄ってきた人たちから謝られることはなかった。私が犯人だと決めつけて詰問していたことなんてなかったかのように、普通にみんな仕事にとりかかっていた。

 

 

 

ある日、別の場所で働いている同期の子から仕事でのSkypeでチャットが飛んできたことがあった。

メッセージを返したあと「今日も頑張ろうね」程度の返信をしたと思う。

そうしたら、それを他のスタッフに見られていたらしい。

私に直接注意はせず、部長レベルの人にわざわざ「あいつはサボって同期と無駄なメッセージを送りあってる」という告げ口をされたことがある。

もちろん上記の一回を送ったのみなので、やましいことはないのだが。

私にとってはなんだかよくわからないまま同期を巻き込んだ問題になり、私のSkypeの履歴を全て調べられた。

何もないと分かるやいなや「勘違いされるような行為は辞めましょう。」と注意されて終わった。ような気がする。

わたしがいびられているせいで、同期にも迷惑がかかって申し訳ない出来事だった。

 

 

 

日々よくあることでは、私以外のスタッフが全員で外食に行き、私だけフロアに残されることがあった。

目の前で当たり前にクスクスと悪口を言われることもあった。

わざとわからない話で周りが盛り上がり続けることもあった。

私以外の全員で集まって忘年会をしていたと後から聞かされた。

その他、ありがちないじめには一通りあっている。


なんて惨めなんだろう。泣きながら働くこともままあった。

 


仕事も全然振ってもらえなかった。

たまに仕事を振られると、仕事がないと思われると困るから手早く仕事をするのをやめろ。できるだけゆっくり仕事をやれと怒鳴られることもあった。

人差し指で一個ずつキーボードを押して、仕事をしたことを覚えている。

 


何か仕事はないですかと聞いても「無いです。」とだけ言われてただ8時間座って過ごす日々が続いた。

 


本当に何も仕事がないため、うたた寝をよくしてしまった。

そうすると怒られる。それはそうだ。けど、やることは何かないかと聞いても仕事は相変わらずもらえなくて毎日眠気と戦いながらただただ椅子に座っていた。

今思えば、あの異常な眠気は周りをシャットアウトするための防衛本能だったような気もする。

ダメだとわかっていながらもよくうたた寝をしていた。そうするとさらに怒られた。仕事も時々しか振られないし、極限状態で働いていたため頭が全く働かずよくミスもした。ミスは私の過失だが、改善もできなかった。全てが悪循環だった。

 


大量にあるハンコの中の埃を爪楊枝で掻き出して1日を過ごすことがあった。

そんな日は嬉しかった。それが仕事だから。そんなことでも仕事があったから。

 


毎日暇すぎて、電話は必ずワンコールで出る癖がついた。

専務から、電話に出るのが早すぎると逆に相手がびっくりするからワンコールで出るのをやめろと言われることがあった。

言われてそのようにしていたが、隣の席のお局さんはワンコールも鳴らないうちに電話を取っていた。

お局さんは怒られる事はなかった。

結局私の仕事はさらに減ってしまった。

 


ポットで粉のお茶を出しているが、私が出すお茶は熱すぎて飲めないと社長から怒られることがあった。全てお局さんに教えてもらったやり方でやっていたし、お湯もポットなのに温度が変わるのだろうか?

社長の機嫌が損なわれたため、それ以降私がお茶を出すこともなくなった。

 

 

 

 


毎日死にたい死にたいと思いながら過ごしていた。

仕事に行く車でも毎日泣いていたし、休みの日にも泣いていたし、帰りの車の中でやられたことを思い返しては「死ね!!!!死ね!!!!死ね!!!!死ね!!!死ね!!!死ねよ!!!!!全員死ねよ!!!!!!!!」と号泣し、叫びながら家に帰っていた。

 


こいつらを全員殺せる方法はなんだろうといつも考えていた。

1人残らず殺さなきゃ気が済まないが、誰から殺していけばいいか、どう殺せば全員殺せるか。殺すにしても苦しめて殺す方法はなにか。どうやったら私が気が済む殺し方ができるのか。常に考えていた。

 


遺書も書いた。

私が事務所で死んでもいいな。

でも、事務所で首を吊ったところでコイツらはたいしたダメージは受けないだろうから、必ずコイツらが罪に問われる死に方をしたい。お前らが殺したんだよと世間に知れ渡るような死に方がしたいな。

そんなことばかり考えていた。

(マジで同期いなかったら死んでたかもしれん。同期が存在するというだけで心強かった。あの節は本当にありがとう)

 


あの時病院に行けば絶対に鬱だか適応障害だかの結果が出たと思う。でも行かなかった。そんな考えにも及ばないほど頭が働いていなかったのだろう。

行っておいてもよかった気がするけど、行かなくてよかった気もする。

 

 

 

そんな日々だったが、経緯はもうよく覚えていないものの限界がきたのだと思う。

ある日、退職届を出すことができた。らしい。(本当によく覚えていない。)

 


そこからはトントン拍子だった。

1ヶ月後に仕事を辞めることが決まり、心も少し穏やかになった。

 


そんな折に、会社の創立記念パーティがひらかれた。

 


パーティはかなり良いホテルの広い会場で行われた。

丸いテーブル席に席次があるような、本格的なものだった。

 


私は総務部であったが、総務部の全員からハブられているので営業部の机に名前があった。(総務が席順を決めるのだが、きっと一緒にいるとお酒も美味しくなかったのだろう。)

 


まあそれもいじめの一貫だったと思うのだが、私にとっては嬉しかった。

あまりかかわらない営業部の人たちの輪の中に入れてもらうのは緊張した。

私がいなければもっと盛り上がったのだろうなと、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

(実際私がいても気をつかうし、邪魔だったと思う。)

しかし、近くには同期もいて、普段より楽しく過ごすことができた。

なによりこの人たちからは酷いことを言われないということが、救いだった。

(別件だが、同期がコンパニオンのお姉さんと名刺交換をしていたことには笑った。)

 


飲めないお酒をたくさん飲んで、酔っ払ってゲロをたくさん吐いた。

大根の上にフォアグラが乗ってさらにトリュフがかかったものや、何かやオマールエビを半身まるまる焼いたものなどを食べたが、跡形もなく吐いた。

きれいな花火を見ながらゲロを吐いた。

風呂に入る前にまたゲロを吐いた。

気持ち悪かったし全てが最悪だったけど、清々しい気持ちでなにもかもが最高だった。

 


仕事の最終日、朝会でも特に私のことには触れられず。

ただ、普段は全く仕事を振られないのにお局さんから変に仕事を振られ「終わらせてから帰ってください。」とだけ言われた。

翌日からは有給消化で休みだったが、部長から「仕事が終わらないなら明日も出られないか。」と言われた。

今日中に終わらせます、とだけ伝えると「そうか。」とだけ言い、部長も帰っていった。

帰りも「お疲れ様」の一言もなくみんな私の存在などなかったかのように帰っていった。

 


その時にすごく開放感があったことだけは覚えている。

この最低な人たちと別れることができるのだと。二度と会わずに済むのだと。心から嬉しかったことを覚えている。

 


お世話になりましたと、あいさつをするためにお菓子を持って行っていたが、配るのはやめた。

「あんな奴らに渡すなら俺らにちょうだい。その方がいいでしょ」と言われ、営業部の人たちに配りまくった。私も自分で買ってちょっと食べた。

 


そうして、1年半働いた会社を退職した。

 

 

 

 


その後も中々仕事をする気になれず、失業保険をもらいながら日々を過ごしていたが、次にこんな辛いことが起こったらすぐに仕事を辞められるように、次の仕事も簡単に見つけられるように、資格を取ろうと思った。

 


そんな折に母より「看護師になるなら学費の半分を出してあげる」と言われた。

それが転機だった。

2年で資格を取れる准看護学校に通い、無事資格試験に合格した。

 


ちなみに、今は楽しく働けているし、手取りは倍を越すぐらいになりました。

 

 

 

初めての就職はクソみたいな場所だった。

あれから何年経つんだろうか?

8年ぐらいは経ってると思う。

そんなに経っているのに記憶の蓋を開けてみると書いてて苦しくなるし、泣けてくる。

 


でも、あのクソみたいな経験があったからこそ我慢強くなったり、言いたいことは言ったほうがいいと学ぶことができたり。

資格も取れたし、自分の今後のプランを考えるきっかけにもなった。

ただのいびりには多少毅然とした態度を取れるようになったし、逆に愛のある指導のありがたさが何倍にもわかるようになった。

 


あの経験がなければ、今の私は存在しないと断言できる。

だから、言いたくないけど、あの時私のことを散々いじめてくれてありがとうございました。

 

 

 

ただ、いつか殺したいリストには全然入っておりますので、なにかで鉢合わせた時にはよろしくお願い申し上げます!!!

 

 

会えなくても、神様、仏様、閻魔様によろしく伝える予定です。

お前の魂はどこにある?という話

 

 

 

ノリで婚活を始めた。

 

始めたと言っても、婚活サイトに登録しただけだ。

 

私の登録したサイトは、独身証明書やら月収のわかる証明書を出さなければ活動ができない仕様であった。

 

独身証明書は役所に行かないと取れないものだし、月収のわかる証明書はスマホからプリントアウトしないと提出ができない。

 

 

 

 

・・・めんどくせっ!!

 

 

 

私は放置した。元々そこまで乗り気でなかったこともあり、重い腰を上げきることができなかったのだ。

 

なんなら面倒臭すぎて、婚活サイトに登録したという事実を無かったことにした。

 

 

そうしていつもの日々を過ごしていた私だが、カードの引き落としの明細を見て、普段より高いことに気づいた。

よくよく見ると、婚活サイトの名前で引き落としがされている。

その婚活サイトは登録した時点で活動開始の有無とは関係なく会費がかかる仕様だったらしい。

 

月に1万円。会費を払っているのに全く活動していなかったので、すでに1万円は無に払っていることになる。

急いで退会の手続きをしたが、契約上、翌月分までは会費を払わなければいけないらしい。

つまり、2万円は婚活サイトに払うことになる。

 

 

悔しい。

悔しい悔しい悔しい!!!!!!!

 

 

婚活サイトが悪いわけではないが、悔しさに顔が歪む。

 

 

無に2万円。2万円あればちょっとした旅行もできる。大好きなぬいぐるみも買える。美味しいものを食べることができる。服だってたくさん買える。それなのに、無に2万円・・・!

(しかも1月末から無職になります)

 

絶望に打ちひしがれている時、ふとある考えがよぎった。

 

 

・・・1ヶ月だけガッツリ婚活したらいいんじゃね?

 

そうすれば、無にお金を払ったことにはならないじゃん!!!

 

そう。

"天才"の爆誕である。

 

 

もしかしたらいい人がいるかもしれないし、2万円の元を取れるように頑張ってみようと誓う。

 

そうなれば行動は早い。

引き落としに気づいたその日のうちにすぐ書類を提出し、速攻アポイントをとる。

 

とりあえず、3人と会うことになった。

 

 

友達にそのことを伝えると「じゃあ単純計算で1人7000円だね」と言われた。

嫌な計算である。

 

 

話は飛ばして、1人目と会った。

少しだけ年上で、穏やかで優しくて、私の話にニコニコと笑ってくれる。真面目そうだし、婚活市場ではいい人だと思う。

ただ、なんとなく壁があり、気持ちが読みづらく、ピンとこない人ではあった。

 

私の登録している婚活サイトでは、顔合わせの後に“今後も付き合っていきたいか否か”をジャッジしなければならない。

 

・・・いい人だったけど、なんかいまいちしっくりこなかったし、お断りしようかな。

 

時間をとってもらったのにこんな漠然とした理由でお断りして良いのだろうか?と悩んだが、私には婚活できる期間が1ヶ月しかない。(自分の都合でめちゃくちゃなことを言っております。)

2度3度と、ピンとくるまで会うような時間はないだろう。申し訳なさに心を痛めながらも、ウェブ上でお断りを入れた。

 

 

色んな意味で疲れたためか、その後に友達と食べたランチは異常に美味しかった。(この感想もひどいね。あの時会ってくれたお兄さんごめんなさい!!)

 

 

そして今日。2人目と会ってきた。

おしゃれにパーマをかけていて、丸メガネの似合うお兄さんだった。

ファーストインプレッションは良かったのだが、話をしていくうちに致命的なほど会話が噛み合わないことに気付いた。

 

私は、私自身のことを知ってもらうには多少なりとも感情や本音を曝け出す必要があると思っているので、身を切り売りしながら話題を提供したのだが。

 

その方は、何を言っても

「まゆさんは面白い方ですね〜」

「まゆさん、明るくて素敵ですね〜」

「まゆさん、笑顔がいいですね〜」

と、テンプレートのような返答ばかりなのである。

 

まるで、恋愛ゲームで"好感度が上がるであろう"選択肢をひたすら選ばれているような感覚である。

 

 

正直、しんどかった!!!!

 

話せば話すほど溝が深まっていっているのに、お相手からは"良い選択肢を選べている"という自信が滲み出てきているというか・・・

温度差があるのに温度差を感じ取ってくれない感じがしんどかった!!!!!

 

同時に、1人目のお兄さんに対して「なんか違うな」と思った理由を明確に理解することができた。

2人目のお兄さんほどではないが、1人目のお兄さんも全く本音を出してくれていなかったのだ。

 

どんだけ嫌なやつでも、合わなかったとしても、私は本音や魂を見せて欲しかったよ!!!

 

(すみませんが2人目もお断りしました)

 

・・・というわけで、2人(14000円分)に会った結果はこんな感じである。

 

 

このままいけば、私の婚活は年末を前にギブアップで終了となるだろう。

明後日3人目と会う約束をしているが、果たしてどうなるだろうか?

 

 

そして人柄が良い方に対しても漠然とした理由でカジュアルに断ってしまう私は、この調子で結婚できるのであろうか?

 

 

今後の私の活躍に期待していただきたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

【追記】

3人目も無事お断りし、まゆの婚活は終了しました!!!!

ココとの思い出

 


ココがいわゆる「虹の橋」を渡りました

 


19歳と半年という長い年月

わたしがペットとしてココを可愛がっていたのではなく、ココがずっと私を助けてくれた19年だった

 

 

 

確か出会いは8歳だか9歳だか、そのくらいの歳だった。

朝早く、わたしと兄弟が寝ている部屋に母がきて、私たちを起こしてすぐベッドに子犬を放した。「今日から家族だよ!」なんて言いながら。

 


犬を飼うなんて知らなかった私たち兄弟は泣くほど笑って喜んだ。

 


その日からわたしたち兄弟とココで4人兄弟となった。

 

 

 

 


わたしのココに対する溺愛ぶりは常識を逸脱していて、大学の時には1限目の途中で「犬に会いたいから」と帰ることもあった。

「犬といたいから」と行かないこともあった。

 


元々マジの引きこもりだから高校も大学もそうやって行ったり帰ったり、ココを撫でたり一緒に寝たりしながら精神の安定を図ってた。もちろんサボりたいだけの日もあったけど。

 

 

 

友達からの遊びの誘いも「犬といたいから」と断ることがあった。

というか犬が老いてからは特にそう断る回数が増えていったような気もする。

19歳という年齢で、見るからにヨボヨボで残りの時間がそう無いと思うとどうしても犬を優先させたかった。

 

 

普通だったら関係を切られてもおかしくないような断り方をよくしてたけど、優しい友達に恵まれて関係を切られることなく今日まで過ごせております。本当にありがとう

 

 

 

2ヶ月ほど前から実家から車で15分のところで一人暮らしを始めた。でも、辛いことがあるとすぐ実家に帰り「犬セラピーが必要」と言って一緒に眠った。

辛いことがなくても週に一回は「犬セラピー」を受けに帰った。

ココと寝ている自分は、世界で一番満たされた存在だった。

 

 

 

 


本当はココと一緒に死にたかった

いない生活が考えられないし、ココがいなくなった後の自分は自分じゃないから。

毎日寿命を1日ずつ渡し、ちょうど同じ日に死ぬことが希望だった。

家族には「犬がもし死んだら、その日にわたしも死ぬ」と本気で言っていたし、本気で思っていた。

 

 

 

「なら、死んだその日に新しい犬を飼おう」なんて家族で笑ってたけど。

 


だけど、実際犬がいなくなったいま、同じ気持ちにはならない。

ペットで空いた心の穴は新しいペットで…と思っていたけど、新しい犬を飼ったとしてもこの穴は埋まらないと思う。

代わりにはなるかもしれないし、新しい犬を飼ったら絶対に大切にして一生手放すことなく可愛がれる自信があるけど…

これから先、何匹犬を飼って楽しく笑って暮らしていけても、どうしたってココが居なくなった穴は一生埋まることは無いと思う。

でも、それでいいとも思う。埋まらないでいいとすら思う。

 

  

話は変わるけど、わたしは現在看護師として働きながら、おじいちゃんおばあちゃんの亡くなる瞬間にたくさん立ち合わせてもらっている。

命の授業みたく、たくさんの患者さんに老いるのは仕方のないこと、命あるものがいずれ死んでいくのは自然の流れだと教えてもらった。


そういう経験の積み重ねで心の準備が進み、ココが死んでもなんとか生きている自分がいる。

なるべくしてなる人生を送っている。導かれて生きている。そう感じた。

 

 


ココがいないこれからの人生、なかなか想像もつかないけど、つらい時に必ず居てくれたココがいなくなったいま、何か起こった時にどう立っていけばいいのか全然わからないけど…

なんとか、なんとか、頑張っていきたいと思う

 

 

 

おばあちゃんが死んだ時も言ったけど

自分が死んだら、最愛のおばあちゃんと最愛のココが待ってると思うと死んだあとの楽しみが増えるばかりだよ

 


行くまでちょっと待っててね

 

 

 

 

 

最後に

 

本当にキラキラした毎日をありがとう

ココに支えられてこれまでやってこれました

わたしを生かしてくれてありがとう

うちに来てくれてありがとう

もし私を天国で待たずに生まれ変わるなら

またうちにきてね

 

 

大好きだよ

 

みなみ

 

 

 

 

 

 

 

 


ありし日
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中岡まゆのおばあちゃん

 

おばあちゃんが入院して2ヶ月程経っただろうか。

先日、ついに看護師さんより「そろそろご親戚を呼んだほうがいいかもしれません」と言われてしまった。

 

あ〜、もうすぐおばあちゃん死んじゃうのかぁ

 

薄々わかってたことだけど、いざ目の前に押し迫ると心臓がギュッとなる。

 

おばあちゃんが生きているうちに、おばあちゃんを忘れないうちに、大好きなおばあちゃんの大好きなところを書き出してみようと思う。

 

 

 

 

 

おばあちゃんはちょっぴりクレイジーな人だった。

 

泊まりに行くといつも「晩御飯は何がいい?」と聞かれ、わたしはいつも「なんでもいいよ」と答えていた。

 

すると毎回「なんでもあるよ〜」と言われるので「じゃあ◯◯がいい!」と答えると「ほんならちょっと行ってくるわ」と買い物に出かけるような人だった。

 

「何にもないってこと そりゃあなんでもアリってこと」?    ROCKET DIVEが過ぎるよ、おばあちゃん。

 

買い物に行くと一度決めたらもう止めても無駄なので、私もついてよく2人で買い物に行った。

 

わざわざ買い物に出かけさせるのは申し訳ないけど、何か答えなければ延々「なんでもあるよ〜」と言われるので、中学ぐらいからは「冷蔵庫にありそうなものを答える」というゲームとしてその質問を楽しんでいた。

 

お米だけあれば作れる「おかゆ」と答えるチート技も発見した。

 

おばあちゃんの作るおかゆは鰹節から取ったダシと昆布から取ったダシ、しいたけから取ったダシをベースに、さらにほんだしを入れるというクレイジー粥だった。

ひたすら濃い。何かわからないけど濃い。そして、異常な中毒性がある。

 

雪の降り積もる山間部出身だからだろうか、おばあちゃんはたまにこういう塩分過多料理を作る。

 

でも、私はそのクレイジー粥が未だに一番の大好物だ。

もうあのおかゆが食べられないと思うと、ちょっぴり寂しく思う。

 

 

 

別の日の朝、泊まりに行っていた私が「ホットケーキ食べたい!」と言ったら、おばあちゃんは家にあったお好み焼き粉でホットケーキを作ってくれた。

 

お好み焼き粉を扱ったことのない小学生の私は一瞬(できるのか?)と思ったが、私より何十年も長く生きているおばあちゃんが作れると言っているので大丈夫だろうと思い直し、出来上がりを待った。

 

待っている間、完全にお好み焼きを焼いている匂いが漂っていたが、気のせいだと思うことにした。

 

 

出来上がって、一口食べた。

あまり想像できないと思うけれど、お好み焼き粉で作られたホットケーキはシンプルにまずい。

ダシや醤油、鰹節の香りのする"あの"お好み焼きに砂糖をたっぷり入れたものを想像してほしい。その味なのだ。

 

苦い顔をする私におばあちゃんが「ダメだった?」と心配そうに声をかける。

「大丈夫!食べられないことは無いよ!!!」と言って、無理して何口か食べた。

 

超絶怒涛におばあちゃん子の私にとって、おばあちゃんが作ったものを「まずい」と言ったり残したりすることは絶対悪だったのだ。

 

水で流し込みながらお好み焼きホットケーキを食べていると、隣で同じものを食べ始めたおばあちゃんが「あ〜!!!こりゃ食えんわ!!!」と大笑いしてゴミ箱に一瞬で捨てた。私も色々と我慢していた分、めちゃくちゃに笑った。

 

それ以来食品棚にはホットケーキミックスがストックされるようになり、私もあまりにまずいものは「これは…もしかして……おいしくはない、の…かも… 。わかんないけど……多分………。」と言えるようになった。

 

 

 

 

またとある別の日

はがき1枚の配送料がまだ50円だった頃だ。

 

会社を営んでいたおばあちゃんは、はがきを出す機会が多くあった。

学校帰りに会社の事務所でよく宿題をしていた私はおばあちゃんのこんな声を聞いた。

 

「あ、しまった、切手がない

 まぁこうしときゃええか」

 

気になっておばあちゃんのところに行ってみると、切手を貼るべき"あの枠"にセロテープで50円玉を貼っていた。

 

切手がないときはいつもそうしていていたらしい。 

確かに、切手も50円だし、お金も50円だ。

同じ値段だからそれで送れるのか!おばあちゃんは物知りだなぁ!!スゴイ!!!と本気で思った。

 

その後もはがきに50円玉を貼り付けているおばあちゃんを何度も見かけた。

私は完全に「はがきとはそういうもの」だと信じて育った。

 

 

間違いに気付いたのは20歳を過ぎた頃だ。

当時ははがきの配送料が52円だったので、50円玉1枚と1円玉を2枚貼れば届くのかな?と思い「はがき お金を貼る」で検索し、ようやく間違いに気付いたのだ。

あの時調べなければ、多分今も勘違いして育っていただろう。

 

というかおそらくこんなのは氷山の一角で、自分の中のこういう「おばあちゃんに教えてもらって、常識だと思い込んでるけど実は・・」みたいなエピソードはまだあるんだろうな。

今後は何が出てくるんだろうか。これからの人生が楽しみ。つくづく、面白いおばあちゃんで良かった!!!

 

 

 

 

 

 

その他、おにぎりを延々と食べさせられる「わんこおにぎり」の話や「掛け布団を10枚掛けられ圧死しかける事件」などクレイジーエピソードはたくさんあるが、今日のところはこれくらいにして、寝ているおばあちゃんにたくさん話しかける時間に戻ろうと思う。

 

 

 

 

 しんみりした内容なので、おばあちゃんとのSNOWを貼って明るく終わります。

 

 なにやられてるんだかわかってないところがカワイイね

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みんなもおばあちゃん大事にしろよな!!!!!

 

 

 

 

おばあちゃんの病室にて。

 

 

中岡まゆ